2007年5月16日水曜日

感じること

ご自身が感じている世界の広さをかんがえたことがありますか?

今日 成田空港から飛行機に乗れば、明日には、というより、同じ日付のうちにアメリカ大陸のどこかに着くことが出来る、というように 交通機関が発達して 世界のどこでも比較的簡単に行けるようになった。 明治のころには 船旅で 何ヶ月もかかったものなのに。
あるいは 通信網、Webなどのおかげで 世界のどこで何が起きているのかほぼ即時に知ることが出来るようになった。自宅にいながらにして 全世界の情報が手に入る。 だから 世界は、地球は狭くなった。

そういう類のことではありません。

今 自分が見ている、体験している世界がどれくらいの範囲に広がっているかということです。
自分がコミュニケーションのアンテナの受信可能領域をどれくらいまで広げているかと言い換えてもよいでしょう。 
どれだけの範囲をみようとしているか、でもあります。

その範囲のちがいとは 何から出てくるものなのでしょうか。意識をどこにおいているから 変わってくるものなのか。それとも 意識の原点が変化するから 変わってくるのでしょうか。また、それは いま見ている世界でも関心のあるものは見えるけれども、関心がなければ視野に入っているのにぜんぜん認識していないものがある ということと 似ている、あるいは 関わってくるものなのかもしれません。

毎日 通っている道すがらだから、目に入っていたはずなのに 今日はじめてあるビルの二階の窓が 素敵なデザインであることに気がついたり、 その上の窓から ぬいぐるみが見下ろしていたり・・・・
あるいは、パスタに関心を持ち始めたら 職場のちかくに意外とイタリア料理店がたくさん見つかったり・・・たけのこではありませんから急にイタリア料理店はポコポコ生えてきたりしませんよね。
また いつもはその道端から空がみえることなど気にもしなかったのに、急に空に気がついて心が広がり、はれやかな気分になることも ありますね。 

すべては 気の持ちようなのかもしれませんが、その変化には驚かされます。

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